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コロナ自粛で減った自殺者
こころの調律師、はらだなほこです。
国や自治体の自粛要請で、学校や会社に行かなくていいようになり、
何と今、自殺者が2割近く減っているという統計があります。
大阪は自粛解除しましたから、また増えるのかもしれません。
経営者の自殺が今度は増加するかもしれません。
死んでこの世の辛さから逃げよう・・・・
貴女の心情はお察し致します(個人的にワタシは自殺するより、アンタが死んだら!?というタイプなのですが・・・あはは)
一度決めた人生を、最後までやり抜かなければならないの?
そんなことありませんよ。勘違いです。
人生は嫌なら、いくらでも軌道修正が出来ます。死ぬ必要はありません。
しかも望み通りの人生にシフトまで出来ます。貴女にもできます。誰でもできます。
案外それって簡単なんです。
簡単なのですが、それなりに「仕組み」を解っている前提があると、確実で、早いんです。
人間に本質的な差なんて何もない
貴女の心臓と、ワタシの心臓は同じです。
血液型の違いなどはあっても、構造の違いはありません。
だから移植が可能です。
貴女の脳と、ワタシの脳も同じです。
貴女の脳だけオリジナル特別仕様・・・なんてことも逆にありません。
顔や身長など、見た目の差はありますよ。
それだって目の大きさが貴女とワタシは、1センチも変わらないのです。
せいぜい数ミリ。
だから今からワタシが書くことは、誰でもやろうと思えばできることです。
同じ脳や心臓を持っているからです、貴女もワタシも。
どん底に落ちた時、人生のゴングが鳴った
ふわふわとそれなりに生きて、食えて、住めている人や、
まだ若い人、美人とか可愛い人、高学歴とか親が金持ちとか、夫が安定職とか、エリートとかね、
その手の女子って案外不幸なんです。
手前みそですが、実はワタシの離婚した元夫は、大企業勤務の管理職でした。
まだ20代で年収1千万を突破。
そこから落ちたことが無かったんです。
経営者の方や、医師の方などからしたらはした金だと思いますが、
サラリーマンとしては十分勝ち組だと思います。
でもね、ワタシは不幸でした。
これね、なかなか他人に理解されませんが、脳科学的には「自己意思で人生を生きてない」から、不幸だということです。
脳には、生まれた目的の一部が、初期設定としてインプットされています。
幸せのスタートは、貴女が生まれる前に自分で宇宙で決めてきた「真の目的」に気づくことから始まります。
このあぶり出し方法はいくつかありますが、ワタシが体験したのは「どん底に落ちる」ことでした。
書き出すとあれこれありますが、解りやすいどん底の一つが、精神薬依存15年。
更に40を超えて白髪も生え、皮下脂肪が増え、体力も衰え、
完全なるオバサン化した自分を痛感したある日、ワタシは人生のどん底を自覚しました。
自分の現在地を知ること
もう若くないどころか、ただのオバサン。
学歴もない。
仕事の実績もない。
特技も資格も何もない。
空っぽの自分。
何も成し遂げてこなかった自分。
言い訳と、逃避にまみれた人生と、鏡の中には老けた自分。
このままオバサンから初老の女になり高齢者になって、
やがて寿命が来て死ぬのか?・・・・と想像した時、
「嫌だ、それだけは嫌だ!!」と思う自分が出てきました。
このまま何事もない人生を生きた自分のビジョンと、
失敗や恥や苦痛はあるかもしれないけれど、今とは違う人生を生きることを天秤にかけた時、
ワタシは後者を取ろうと決めました。
それくらい、当時生きづらく、息苦しく、生きる実感のない生活を繰り返していました。
はたから見たら、安定的な会社の社員である夫がいて(しかも年収一千万超えていて)、娘にも恵まれていたのですが。
とりあえず専業主婦を止めるために、就職活動を始めた
「誰の金だと思っているんだ、それは俺が働いた金だ!」
夫の機嫌の悪い時。何かこちらの態度に気に食わないことがあった時、何度も聞かされたこの言葉。
この言葉だけは、心底ワタシにとって不快でした。
腹の底から怒りが湧いて、でも決定的な言い返す言葉もありませんでした。
そんな情けない自分を誤魔化して専業主婦に甘んじてきましたね。楽だったからです。
娘の小学校中学年を機に、大阪に新築マンションを購入し、夫は単身赴任になりました。
働こうと思えば働くことが出来る環境が整いました。
転勤族からの解放。安住の地。
ですが、まだワタシは専業主婦のままでした。
恐かったんです。
今更会社で働くことが。
時代の変化についていけないことも解っていたし、恥をかくのも嫌でした。
エクセルとか、全く使い方も解りません(使いたいという興味もない)。
もやもやしながら時は過ぎ、
マンションに引っ越してきた時は小学生だった一人娘が、高校受験を無事終えました。
もうこれ以上専業主婦としてボーっと生きる訳にはいかない。。。
この生き方を止めようと思ったワタシは、就職活動を始めました。
ところがすぐに現実を思い知るのです。
一社も、どこも!ワタシを採用をしてくれなかったからです。
自分に甘い言い訳と誤魔化しを続け、その間にどんどん老けて、空っぽのオバサンになったワタシは、
会社組織で全く必要とされない価値だということを、はっきりと現実として自覚しました。
お財布に5万円でもいいから、自分で稼いだお札を入れたかった
「誰の金だと思っているんだ!それは俺の金だ」
言い返す言葉が当時のワタシには無くて、悲しみと怒りに黙り込むしかありませんでした。
家にいたのは夫が転勤族だった。これは当時のワタシの「働けなかった」言い分。
人のせいにするなよ!と、今なら思いますよ。
当時はとにかく、色んな事に無知でした。
くだらない見栄がありました。
仕事をするならこんな仕事・・・という、理想が自分なりにあったのです。
金融関係に勤務していた夫の引っ越しの多さは、結婚してみて初めて知ったこと。
これ、心底苦しかったですよ。
そのうえ、「誰の金だと思っているんだ・・・」とたまに言われるワタシの怒り・・お判りいただけますか?!(笑)。
「このままで死んでたまるか」の原点は、夫のくれたマイナス言葉のエネルギーです。
今となっては、感謝しますが、当時は単なる怒りに注がれる油でしかありません。
でもね、どんなエネルギーであれ、使いようです。
優しさ、思いやり、認めてくれる・・・そんなものだけで人間は動くわけではありません。
罵倒され、バカにされても、それをエネルギーにできるんです。
プライドを捨て、近所のスーパーでパートを始める
いわゆるデスクワークや、キラキラ系のコスメや、結婚紹介所、美容関係の会社の募集を見つけては応募するも、
「履歴書段階」で全部ワタシは落ちました。
面接にすらこぎつけることがありませんでした。
さすがに自分の置かれた立場を思い知りました。
またポストに履歴書が送り返されてきた・・・・
「もういい!」とあきらめがつきました。
自転車で7分ほど離れたスーパーのパート面接を受けました。
ここをもしも落ちたら、お掃除オバサンか?と思いつつ。
年末も正月もゴールデンウイークも休みなしという条件でした。
自給は、大阪の最低賃金。
文字通り、どん底の価値で人生(時間)の切り売りです。
オシャレさはみじんもないエプロン作業着。
受け入れるしかありません。
もう背に腹は代えられないのです。
震えながらタイムカードを押し、震えながら売り場に出る日々
22歳で結婚し、40超えるまで専業主婦をしてきたワタシにとって、
地元スーパーで働くことは、最初は恐怖でしかありませんでした。
でも、自分の市場価値が「どん底」であることを重々思い知っていたワタシは、やるしかない!と腹だけは括っていました。
配属先は希望通り、農産部門。
野菜・果物・花を扱う部署です。
とにかくカラダを動かしたかったので、会社側から提案されたレジを断って、ここに入れていただきました。
最初はお客様に声をかけられるのがとにかく怖くて、
商品を並べに売り場に出るたびに、「どうか誰も話しかけないで!!」と祈るような思いでした。
値段、商品の場所、答えることが出来なくて、焦ってお客様を怒らせたこともありました。
それでも、「ここで務まらなければ、後が無い」という背水の陣という覚悟があったワタシは、
毎日メモ用紙に教えられたことを書き留めながら、必死でしたね。
そしてがむしゃらに働いた三か月目に、転機が来ました。
閃きは、上司の「うつ病休職」がキッカケでやってきた
長年の専業主婦生活から、スーパーの農産部門のパート生活をがむしゃらで送っていたある日、
正社員の男性上司が、店長のパワハラが原因で「うつ病」になり、店を去ることを知りました。
ワタシとは特別仲がいいわけでもなんでもない上司でした。
いい人というか、気が弱いというか、
店長にしてみたらイジメたくなる、ストレスのはけ口として丁度良い存在だったのだと思います。
次にやってきた男性上司はそれなりに店長とやりあっていたので、
「自分の態度ありき」で、パワハラの被害を受けるか回避するかは決まるのだなあと感じましたね。
ワタシは自分が15年も精神薬を飲んでいた経験がありますし、
お世話になった上司がそういう事態になり、でもワタシは仕事にも慣れ、また面白さに目覚めていた時でした。
その瞬間、ふと閃いたのです。
「心理カウンセラー」
このワードが、ふと頭に浮かんだのです。
まだぼんやりとした感覚でしたら、帰宅し、「心理カウンセラー」と初めて検索エンジンに打ち込んでみたら、
ずらりと出てきた学校の案内。
それがワタシの人生の転機です。
・・・つづく💗