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休日は他店を視察して回り、情報を集めを趣味にした
こころの調律師、はらだなほこです。
この記事には、パート1がありますので、そちらも是非読んで下さいね!
さて!現実社会の厳しさに、理想の就職活動はあえなく撃沈。
近所のスーパーでパートとして働かせていただくことになったワタシ。
肉体労働なのでクタクタで帰宅するのですが、
カラダは疲れていても頭まで疲れることはありませんでした。
だから帰宅後は新しく入荷する季節野菜や、自分が買ったことのない商品をパソコン検索。
栄養価、調理方法、下ごしらえなどを調べ、フロアでのお客様対応に備えていました。
「もっと何かができるはず・・・・」
スーパーという仕事は、やってみて分かったのですが、なかなかに奥が深いんです。
まず途方もなく多種多様の商品を扱います。
名前も知らなかったもの、見たこともない新しい外国野菜やフルーツが毎日のように入荷します。
専用機械でラベルを打ち出したり、それぞれの保存方法が違ったり、覚えることが山のようにある仕事なのです。
職場から徒歩3分の場所に、競合スーパー「M」がありました。
農産の上司は毎日「M」に行って、価格や商品を視察してきます。
その日の「M」を踏まえて、陳列や価格を調整するのです。
ワタシも仕事帰りにたまに「M」に足を運び、買い物をしながら商品の陳列やパッケージを観察するようになりました。
例えばキャベツでも、カットの仕方や包装、陳列、ポップによって、まるで見え方が変わります。
見え方が違うということは、売れ方に影響が出ます。
商品そのものは産地も同じですし、うちもMも変わらないのですが演出によってその日の勝敗が決まります。
これはまさに女のヘアメイクやファッションのようなものだと思いました。
センスと工夫で人生が変わる、モテ度が変わる・・・野菜やフルーツの世界も全く一緒。
ワタシは新規オープン店があると知れば、そこまで自分が見に行くようになりました。
10年以上続けていたゴルフの趣味があったのですが、
仕事をすると同時に止めることにしました。
理由は、負けず嫌いなものですから、毎日練習しないと気が済まなかったのです。
パートでカラダはクタクタで、日々の練習場通いと仕事の両立はとても無理だと思いました。
あっさりゴルフ熱が冷めたのには、我ながら意外でしたが、
それだけ働きたかったのだと思います。
遊びや趣味で時間を潰す人生にだけは戻りたくない。
ワタシの気持ちは決まっていました。
あの決断、時間とエネルギーの一極集中が、今につながったと思っています。
そんなこんなで新たに、他店視察がワタシの趣味になりました。
気分だけはキャリアウーマン。スーツにパンプスを履いて社員気どり。
職場は典型的な中流層向け、24時まで営業。
客層も価格もまるで違う「高級スーパー」や、逆に超低価格を売りにする店なども、休日の度に見に行きました。
そうこうする内、道の駅などではおなじみの、
「手描きポップ」を商品につけてみてはどうか?と思いはじめ、いくつも試作品を作りました。
上司や店長には却下されてしまったのですが(そもそも会社規定で手描きは禁止)、
アナログのぬくもりや味わいこそ、主婦が心惹かれるツールになるという思いは強く。
何度か掛け合っている中、ある日潮目が変わる出来事がありました。
本部の「パートの意見を聞くの人」というのがいまして、
たまたまワタシがその会議に出席したのです。
手描きポップはその後、本部で正式に使用許可がおりたのでした。
アルバイトの大学生と勤務が重なるのが楽しかった
店は早朝から深夜まで営業していますが、ワタシは主に日中から夕方までのシフトが与えられました。
早朝はフリーターの男性たちが。
夕方からは大学生の男の子たちが。
昼間のバトンを繋ぐのが、ワタシ含め、いわゆるおばちゃん達3名です。
たまにシフトの関係で早朝担当のフリーターと言葉を交わすこともありました。
気のいい30くらいの男性。
仕事が適当(苦笑)。
丁寧がモットーの農産の主、ベテランKさん(60歳)と、彼は、犬猿の仲でした。
夜の大学生アルバイトたちは、
ただ膨大な作業をこなすだけではなく、より早く、より正確に、また売り上げについても考えている子たちでしたね。
商業大学生で、二人とも将来は流通関係に就職すると決めているので、些細な会話でも手ごたえがあるのです。
コストカット、人員削減でとにかくバックヤードは怒涛の作業。
立ち話をする余裕など、滅多になかったのですが。
彼ら若いし、とにかく作業が早かった。
素朴で素直で、ワタシは二人とたまに勤務が重なる日が楽しみでした。
早朝や、昼間の方々は、どちらかというと「さぼろう・楽したい」という本音が見え隠れするのですが、
アルバイト学生たちは、昼間のやりのこしを押し付けられても文句ひとつ、不平不満も言わないのです。
バックヤードの「空氣」は、明らかにメンバーで変わることを知りました。
仕事は楽しくても、ここで正社員を目指すことは何か違う・・・・
あっという間に日々は過ぎ、気づけばパートを始めて3か月が経っていました。
この頃、ワタシに仕事を指導してくださった大ベテランKさんが、転職することを知りました。
その店全体の主に近いパートさんでした。
彼女いわく、若いころ本当にしたかった夢は、洋裁学校の先生になること。
「ミシンを使う仕事」を見つけた!と、とても喜んでワタシに教えてくれました。
まだまだ駆け出しで分らないことだらけなのに、
頼っていたKさんが昼のバックヤードから居なくなってしまいました。
益々自分がしっかりせねば!とやりがいはあるものの、
低賃金の現状や、先のない働き方であることはまぎれもない事実だし、
言葉にできない物足りなさも感じはじめていた頃です。
正社員である農産直属の上司が、店長のパワハラを苦にうつ病になり、売り場を去ることを知りました。
「心理カウンセラー」
ポンと頭に閃いたんです。
自分がカウンセラーに会ったこともなかったのに。
精神科の医者しか知らなかったワタシなのに、何故かその言葉が頭の中に出てきたのです。
心理学のスタートは通信教育。とりあえず資格を3つ取りました
仕事を始めてたったまだ3か月目で、新しい方向性を閃いたワタシは、
パートをしながら自宅勉強を通信で受けて、プロを目指そうと思いました。
職場の上司に即そのことを伝え、7か月後の「正月商戦」が終わった時に退職する旨を伝えました。
仕事から帰宅し、夕食を終えた食卓テーブルでテキストを開く。
とりあえず資格を取ろう!
それまでも人から「何か資格でも取ったら?」と勧めれても、気持ちが動いたことはありません。
〇ーキャンのHPを見ても、全く興味も持てなかったのに、
心理カウンセラーの3種の資格の勉強は、あっという間に進みました。
そして資格の証書もゲットしたものの、
「こんな教えで精神病は治らない。圧倒的に何かが足りない」ということに、ワタシは気づいてしまいました。
なにせ自分が15年間も精神薬依存から抜けられなかった元患者ですから、
その薄っぺらい内容で落ちたメンタルが変化するとは到底思えなかったのです。
どうしたものか・・・・と思案しつつ、とりあえず次にやることを探しました。
そこでたまたま検索エンジンにひっかかった、独立起業の為の大阪市による支援団体、
大阪産業創造館を知るのです。
・・・・つづく💗