chatGPTとは、まるで人間と対話しているかのように質問に答える対話型のAIサービス。
PCが苦手。こういう新しいシステムは出来るだけ登場して欲しくないとすら思う。だけどワタシより年上の、還暦を超えた知人たちも使いこなしているというから、言い訳をしている自分に落ち込みそうになるのですが、そんなことは置いておいて・・・・。
AIの行く末と、ワタシ達の価値観がどのように変わって行くかを考察しました。
Contents
自動音声、AIによる朗読動画に拒絶反応を出し始めた人々
スピリチュアルや精神的な情報を発信しているYoutubeチャンネル。好きだからよく見ています。
けっこうな確率で出てくるのが、AIによる自動朗読系の番組です。サムネイルを見て期待したのに、あの機械音声だったら正直ガッカリ。ある時期まではAIの方がむしろ聴きやすいと思っていましたが、最近は拒絶反応に近い「不快」を感じてしまうのです。AI音声、お好きですか?番組内容が良ければ何とか最後まで聞くのですが、これはワタシのコンプレックスゆえの反応なのか?と思っていたら、番組のコメント欄に同意見の人を見つけました。そのコメントには発信者の返答もあり、「声質の自信の無さ、そもそも朗読が苦手なのでお許しいただきたい」とのことでした。
AI占いと、AIカウンセラーの需要
様々な占い師の名前を借りて、千円前後で個人占いを提供するサイトがあります。ワタシ自身が西洋占星術のチャートを見ながらカウンセリングの参考資料にしていますし、占星術以外の占いにも肯定的で興味もあります。占いの殆どは「確率論」というくらいなので、データを入力したら自動計算で答えを出せる。確かにAIで十分でしょう。ですが感性による個人個人の読み解きこそが、人間占い師の実力であり値打ちだと思うんですよね。
これはカウンセラーも同じで、本や教科書に書いてあることしか言えないレベルの人は淘汰されたほうがいいです。アカシックレコードやハイヤーセルフ(潜在意識)のひだを読める直感力、こういった本質に長けたカウンセラーは、替えが効かない別格の存在としてますます重宝されることになるでしょう。
こころの調律では、政木フーチを使った潜在意識の読み解きを行います。
工場のおにぎりか、人の手で握ったおにぎりか
セブンイレブンの中でも、ちょっと高級なおにぎりは確かに美味しい。一個200円くらいはする。
だけど実家の母親が作ってくれる家庭料理は、違う価値が詰まっている。コスパや時短というモノサシでは測りきれない値打ちがあるなと思うんです。特に美味しい訳でなくても。カップラーメンや工場で作られたおにぎりが物珍しくて憧れたことがあります。小学生の頃、熱を出して学校を休んで寝ていた時。ワタシは普段食べさせてもらえなかったカップラーメンを、母にねだったことを覚えています。あの一杯は美味しかった・・・・。
ですが今、病床にてカップラーメンや工場のおにぎりで元気が出るか?というと、それは無理。あっという間にインスタントの珍しさに慣れてしまい、それまではスコトーマ(盲点)だった生き物にとって必要な「波動」というか、カロリーとはまた違う「生命エネルギー」のようなものに気が付きました。つまり工場生産の食品のお陰でそれを感じたのですから、どちらかだけに軍配を上げる必要はないということです。
AIの声やイラストは、カップラーメンと似ている
人工うま味成分。「味の素」をたっぷり使う料理研究家が、Youtubeで話題や人気になっています。子どもの頃はジャンクな食材の魅力にどっぷりだったし、CMの影響も加わり「食べたい!」と本気で思ったけれど、今はできるならば食べたくありません。有機的な食材の方が体にいいと思うし、精神的にも満たされる。とはいえ災害時などは別ですよ。さて、それと同じことが今後のAIにも言えるような気がするのです。今は物珍しさからの過大評価や、今後の期待を集めてはいるけれど、やがて目覚めた人達の中から「肉声」や「手描き」が再評価され始めるのではないか。つまりAIはジャンクフードのようなポジションで、必要とする人は増えていき、同時に生身の人間が持つ才能に対して、改めて高い価値が付き始めると思うのです。